【手記】父より息子大の里へ 故郷に「裏切り者」と言われ「つらかった」親子で泣いた4年前の夜

無傷の13連勝で2場所連続4度目の優勝を決め、横綱昇進を確実とした大関大の里(24=二所ノ関)の父・中村知幸さん(49=会社員)が、日刊スポーツに手記を寄せた。192センチの長身、幕内最重量191キロの大柄な体は、184センチ、125キロの父譲り。これまでの歩みを振り返りつつエールを送った。 ◇ ◇ ◇泰輝、優勝おめでとう。そして指導していただいた二所ノ関親方、応援していただいた皆さま、本当にありがとうございました。感謝の言葉は尽きません。もともと「ダイキ」という名前にすることだけは決めており、当初は「大輝」を考えておりましたが、画数の関係で「泰輝」と名付けました。小学生の時は、常に同級生よりも頭一つ、二つ体が大きかったです。中学に入学する前で身長は178センチ、体重は100キロに届かないぐらいでした。体も頑丈で、小学4年生の時に、普通乗用車にはねられたことがありました。乗っていた自転車はグシャグシャに壊れ、救急車で病院に運ばれました。後頭部には1センチぐらいの傷痕ができ、2、3針縫ったのですが、本人はピンピンしていて。何ごともなかったように、翌日にはまた出かけてしまう元気な子でした。もともと大相撲に進む考えはなく、高校や大学などアマチュアの指導者を目指していました。なので、日体大に進んだのは自然な流れ。中学生の時に「20歳の自分へ」と題して書いた手紙が印象的でした。20歳の自分に向けて「学生横綱になっていますか?」と、書いていました。1、2年生にして、大学生の頂点に立っていることを想像していたようです。そして有言実行。1年生で学生横綱になり、3、4年生で社会人も含めたアマチュア横綱。そして大相撲でも、横綱に推挙していただけるかもしれないと言われるようになりました。手紙を書いて10年後に、ここまでくるとは、私はもちろん、本人も想像できなかったと思います。私の思いも背負って、ここまで戦ってきてくれました。中学から新潟県糸魚川市に相撲留学。元横綱輪島さんをはじめ、相撲どころの石川県を離れることで、多くの人に「裏切り者」と言われました。もちろん、変わらずに接してくれる人もいましたが、私は若いころ、石川県代表として国体などに出場。それが息子を他県に留学させたことで、地元の津幡町少年相撲教室でも、それまでのように指導ができなくなりました。何とか見返そうとしてくれていたと知ったのが21年12月。大学3年でアマチュア横綱のタイトルを取った日の夜、両国の居酒屋に私ら親子と泰輝の相撲部の友人、3人で入った時です。その友人に説明する形で、泰輝が「オレたち親子は、本当につらかった」と、涙を流しながら話している姿に、私も涙が止まりませんでした。自分のせいで、私まで相撲と関わることができない状況にしてしまったと、責任を感じていたようでした。そんなこと何も気にしなくていいのに、いつも誰かの思いを背負う。優しい性格に育ったことが、何度優勝することよりも、横綱に昇進することよりも親としてはうれしいです。2場所連続優勝したことで、これまで以上に追われる立場になると思います。しかし、丈夫な体と、誰かのために戦う姿勢は変わらないと思うので、大丈夫と信じています。相撲をやっていた人間として、息子を尊敬し、誇りに思います。